「ナオミの夢」のヘドバ・アムラニ、日本に贈る50年ぶり新曲「生きてこう」


2000 1125 VOICE Editor
Amazon 5日間のBig Sales
11/27[金]9:00 ─ 12/1[火]23:59
第2弾サイバーマンデー開催中

イスラエルで絶大な人気を誇る女性シンガー、ヘドバ・アムラニ(Hedva Amrani)が日本で約50年ぶりに新曲「生きてこう」Spotify)を4月3日にリリースした。ヘドバは70年代に「ナオミの夢」(’71)で一世を風靡した世界的デュオ、ヘドバとダビデ(Hedva and David)の女性ボーカル。「ナオミの夢」の累積売上枚数は100万枚を超え(Billboard – December 11, 1971)、49年前のちょうど今の時期、オリコン週間シングルチャートで4週連続首位を記録(※1971年4月19日付-5月10日付)。昭和を代表する海外アーティスト曲の一曲となり、日本の音楽史に刻む大ヒットとなった。

およそ半世紀ぶりに日本でリリースしたアップリフティングな新曲「生きてこう」は、世界が新型コロナウイルスと闘うなか、ヘドバの日本への愛と熱い思いが詰まった一曲。どこかエキゾチックで懐かしい、パワフルなジャパニーズ・ソウルのポップスで、日本に希望とエールを送る。

ヘドバ・アムラニ 新曲『生きてこう』Spotifyでデジタル配信中
https://open.spotify.com/track/1zVmCsUiAnWR0RDBXQTXV6
ヘドバ・アムラニ 公式ウェブサイト
ヘドバ・アムラニ 公式Facebookページ

新曲についてヘドバは、「私はこの『生きてこう』の歌詞が大好きです。特に今、新型コロナウイルスで世界が混乱に陥っているように、人生にはいつだって私たちの暮らしを乱す何かがあります。『生きてこう』は日常の些細なことを楽しむこと、そして私たち自身がネガティブな気持ちに負けないことの大切さを思い出させてくれます。子どもの笑顔や思いやりのある行動など、ほんの小さなことからも、私たちは幸せに感じる何かを見つけることができるのです」。

そうした思いやり、温かさをヘドバは、故郷イスラエルと同じように愛しているという日本の国に見いだす。ヘドバは日本のTV番組に招待されるなど度々来日。2015年8月には、「夏の紅白歌合戦」とされるNHK大型音楽番組『第47回 思い出のメロディー』のため来日し、変わらぬ歌声を披露した。「日本を訪れるたび、私はいつも歓迎されていると感じ、この思いやりにあふれた素晴らしい国を愛しています」。日本の文化、食べ物、ファッション、スタイルが大好きだというヘドバ。1970年に初めて日本を訪れた時、日本人の礼儀正しさ、他人を思いやる配慮やお辞儀をする様子などを人生で初めて目にし、その光景は50年たった今も忘れられないという。「『生きてこう』は私から日本への贈り物です。いつかまた日本を訪れ、日本の友人、そしてファンの皆さんに笑顔を届けられることを心から楽しみにしています」。

1965年にヘドバとダビデを結成。イスラエルで熱狂的な人気を集め、1970年に東洋のユーロビジョンと言われたヤマハ主催の国際歌コンペティション「世界歌謡祭」(※当時「東京国際歌謡音楽祭」)にイスラエル代表として出場。世界47か国の代表が競い合い、ヘドバとダビデのヘブライ語版「ナオミの夢」(原題:אני חולם על נעמי / ANI HOLEM AL NAOMI‎、英題:I Dream of Naomi)が初代グランプリに輝いた。受賞後、ヘドバとダビデは急遽日本語版をレコーディング。現在のタイトルで翌71年1月にリリースされ爆発的なヒットとなり、今もなお多くの日本人の青春時代を歌の中で蘇らせる。

73年に解散しソロ活動を始めたヘドバは、ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest)のイスラエル代表を決める全国大会で活躍し数々のヒット曲を生み、イスラエルで最も愛される国民的女性歌手として国中にその歌声を響かせた。歌手活動を続ける一方、彼女が何よりも大切にしたのは家族の時間だった。73年に解散後、アメリカ人医師と結婚したヘドバはアメリカに移り住み、子どもたちを育て、音楽制作の度にイスラエルへ飛んだ。

ヘドバは米Jewish Journalで「私がイスラエルを離れアメリカで暮らすためにここに来た時、私の夫は私が音楽キャリアを犠牲にしていたことを知っていました。そのため彼は私の両親を呼ぶことに決めたのです、私が孤独に感じないようにと。私の両親は18年間ここで一緒に暮らし、私はその時間をとても大切にしました。両親がここに来た時、既に年をとっていて健康状態はあまりよくありませんでしたが、子育てを手伝ってくれ、両親のおかげで子どもたち(DoronとOrel)は、ヘブライ語を流暢に話すことができます」。「音楽キャリアを諦めるという意味で後悔はありますが、しかしその一方で、私は家族を得ることができました」。アメリカで暮らしながらもイスラエルで楽曲をリリース、イスラエルや日本での公演の他、シモン・ペレス元大統領の誕生日祝賀会に招待され歌声を披露したヘドバ。「祖国を離れた歌手にとって容易な機会ではありませんから、非常にありがたいことです」。そうしたパフォーマンスや音楽制作の際に、両親が子どもたちの面倒を見てくれたといい、「もし両親がここにいなかったら、今の私はありません」と語る。

そうした音楽と家族の共存は、ヘドバの音楽の原点だった。幼少時代を振り返りヘドバは、「幼い頃から家族と歌を歌ったり楽器を演奏したり、家庭にはいつも音楽がありました。私の母は素敵な歌声の持ち主で、その父親、ユダヤ教の神殿で先詠者をしていた祖父もそうでした。私の一番上の兄は歌手になり、二番目の兄もイスラエル軍の音楽隊で歌手をしていました。私は13歳の時に青年歌唱コンテストで優勝し、歌手としての才能を初めて認められ、それからずっと活動を続けています」。

現在75歳、新曲「生きてこう」(英題:Just Be)は、「ナオミの夢」と同じくもともとはヘブライ語曲。2016年8月、イスラエルで前作アルバムから10年ぶりにリリースされ、イスラエルのトップチャートに入り、イスラエルのラジオ局で最も再生された曲の一つになるなど大ヒット曲となった。「特にイスラエルの若者たちの中で大きな反響があったことに、私はとても感激しました。この曲は、愛と平和そして寛容さなどの意義を謳っています」とヘドバ。その日本語版の作曲は、イスラエルの著名作曲家Eyal Mazig(エヤ ル・マジーグ)と Merav Simon Tov(メラヴ・シマントヴ)が手掛け、イスラエルの実業家 Kuniko Cohen(クニコ・コーヘン)が日本語訳を担当。「この曲は、特に今世界中で結束や愛、そして互いの理解力を必要としている状況で、日本の皆さんへ贈るぴったりの曲だと思っています」、約50年ぶりの日本語の新曲リリースに胸を高鳴らせる。

これまで数多くのアルバムやシングルを日本語で収録してきたヘドバは、日本語で歌うことについて、「面白いことに、日本語の発音がヘブライ語の発音にとても似ていることに気付きました。もちろん若い頃は、簡単に日本語の歌詞を覚えることができましたが、今はちゃんと正しい日本語で歌えるようになるまで少し時間がかかってしまいます。なので、ヘブライ語と英語で歌詞の読み方を書き出し、それを読みながら日々練習に励んでいます」。今もなおパワフルで美しい歌声で歌い続けるヘドバ。普段からボイストレーニングを積み重ね、健康管理、適切な食事、毎日のエクササイズで体型を維持し、常にポジティブな思考を心がけているという。

「私は日本の皆さんに、自分の心の声に耳を傾け、そしてこの世界の美しさを見てほしいと思っています。『道端でバラの香りを嗅ぐために足を止める』という表現があるように、それは私たちの人生に与えられたものに感謝し、一日一日を楽しむということです。希望を持ち続ければ、必ず私たちはこのコロナに打ち勝つことができると信じています。生きてこう!」そのタイトルを刻み日本に贈る曲には、困難に希望を見いだし歌い続けてきた75歳女性シンガーの人生と情熱、「ナオミの夢」で出会った日本への愛が込められている。






Hedva Amrani

イスラエル出身の女性シンガー。1965 年にイスラエル軍の音楽隊で知り合ったダビデ・タルとデュオを組み「ヘドバとダビデ」として、プロデビューを果たす。1970 年には、世界 47 か国が出場した第 1 回東京国際歌謡音楽祭にイスラ エル代表として出場。ヘブライ語の楽曲『ANI HOLEM AL NAOMI』で出場し、 見事グランプリを受賞。その翌年、日本語で『ANI HOLEM AL NAOMI』を収録し、『ナオミの夢』というタイトルで日本で発売したところ、大ヒットを記録。 「ヘドバとダビデ」解散後も、ソロとして『In One Heart (Salam Aleikum)』や『The Two of Us(Shneinu Yachdav)』等数々のヒット曲を生み出した。
1960 年代からイスラエルで最も愛され、そして尊敬される女性シンガーの一人でもあるヘドバは、現在ロサンゼルスに拠点を置きながらも年に数回、新曲のレコーディングや公演のため、イスラエルを訪れるなど世界を舞台に精力的に活動を行っている。

Please share with us the story behind the release of the song “IKITEKOU” in Japanese.
今回の新曲『生きてこう』が日本語でリリースされることになったきっかけを教えてください。

I originally recorded the song a few years ago in Hebrew for the Israeli market and it got a raving success. It reached the top charts and was played all over the country by almost every radio station. It got a great response especially from the young listeners which was a great thrill to me. The song has a great meaning for love peace and kindness.
『生きてこう』は、もともと数年前にイスラエルでリリースするためにヘブライ語で収録し、大ヒットとなった曲です。イスラエルのトップチャートに入り、国中どこでも、ほとんどのラジオ番組で流されていました。特にイスラエルの若者たちの中で大きな反響があったことに、私はとても感激しました。この曲は、愛と平和そして寛容さなどの意義を謳っています

How do you feel about the release of your new single in Japan after about 50 years?
70年代以来約50年ぶりに日本で新曲をリリースされましたが、どのような心境でしょうか?

I am so excited about it for many reasons. I think the song is perfect for Japan especially these days when the entire world is in need for unity, love and understanding. I also think that the Israelis and the Japanese have so much in common. We proved it with our song “Naomi No Yume”. When I was part of the duo “Hedva and David” and we won the first place at “Yamaha Music Song Festival” we didn’t even know that Naomi was a name in Japan. Naomi was a woman mentioned in the bible thousand years ago, I still wonder how this name arrived in Japan?
とても高揚した気持ちです。この曲は、特に今世界中で結束や愛、そして互いの理解力を必要としている状況で、日本の皆さんへ贈るぴったりの曲だと思っています。また、イスラエルと日本では共通することが多くあります。皆さんもご存知の曲、『ナオミの夢』もそれを証明しています。私が「ヘドバとダビデ」のデュオとしてヤマハ音楽祭(東京国際歌謡音楽祭)で優勝した時は、「ナオミ」という名前が日本でも一般的であるということは知りませんでした。イスラエルで「ナオミ」は、聖書の中に出てくる数千年前のお話の中の女性の名前です。どうやってその名前が日本へ辿り着いたのか、とても不思議に思います。

You are singing the song in Japanese very naturally, but are there any difficulties for you to sing Japanese songs? How do you usually practice Japanese songs?
非常にナチュラルな日本語で歌われていますが、日本語で歌う際の難しさはどんな点でしょうか?また、どのように練習されているのでしょうか?

I recorded many albums and single records in Japanese. It is interesting, that somehow I found the sound of the Japanese letters very similar to the sound of the Hebrew. I must admit that when I was younger it was much easier for me to memorize the Japanese, but now it takes me much longer to get the lyrics right. I write the lyrics in Hebrew or English letters and practice a lot.
私は今まで数多くのアルバムやシングルを日本語で収録してきました。面白いことに、日本語の発音がヘブライ語の発音にとても似ていることに気付きました。もちろん若い頃は、簡単に日本語の歌詞を覚えることができましたが、今はちゃんと正しい日本語で歌えるようになるまで少し時間がかかってしまいます。なので、ヘブライ語と英語で歌詞の読み方を書き出し、それを読みながら日々練習に励んでいます。

Please tell us about your memories of Japan that you still cherish.
ヘドバさんの心に残る日本での思い出を教えてください。

I love Japan so much almost like I love my homeland Israel. I love your culture, neatness, politeness, food, fashion, style. At my first visit to your country in 1970, I saw something I’ve never seen before. When in public people were wearing gloves and face masks to keep clean and protect others from getting infected. Never shaking hands but bowing for greeting a friend. What a respect I loved it.
私は、自分の故郷であるイスラエルを愛するように日本を愛しています。日本の文化、こぎれいさや礼儀正しさ、食べ物やファッション、そしてスタイルが大好きです。1970年に初めて日本を訪れた時、私は今まで見たことのない光景を見て、新しい文化を経験しました。
公共の場では、清潔さを保ち他人に迷惑をかけないようにグローブやマスクを着用している様子や、友人や知人に挨拶する時は、握手ではなくお辞儀をする様子など、日本人は人に対する尊敬の念があり、本当に素晴らしいと思います。

Who inspired you to make music?
ヘドバさんが音楽を作り始めたのは、どなたの影響ですか?

In my family we always sang and played musical instruments. My mother had a great voice, so did her father who was a cantor at his Temple. My older brother is a singer My middle brother also served in the Israeli army as a singer. I was discovered as a talented young singer at age 13 when I won a youth contest and since then I’ve been performing till this day. It’s in my blood.
幼い頃から家族と歌を歌ったり楽器を演奏したり、家庭にはいつも音楽がありました。私の母は素敵な歌声の持ち主で、その父親、ユダヤ教の神殿で先詠者をしていた祖父もそうでした。私の一番上の兄は歌手になり、二番目の兄もイスラエル軍の音楽隊で歌手をしていました。私は13歳の時に青年歌唱コンテストで優勝し、歌手としての才能を初めて認められ、それからずっと活動を続けています。血筋なのでしょうね。

Your new song “Ikitekou” is so energetic and shining. How do you keep your voice powerful and beautiful?
新曲『生きてこう』はとてもエネルギッシュで明るい曲ですが、どのようにそのパワフルで美しい歌声をキープされているのですか?

Thank you for your compliment. I guess I am lucky, but I also try to remember to practice vocally and exercise. I also keep myself in good shape, health wise, I eat properly, exercise daily and think positive.
お褒めの言葉、ありがとうございます。私は(才能に)恵まれていると感じますが、もちろん常日頃からボイストレーニングをし、練習を重ねています。あとは、健康にも気を付けていて、適切な食事と毎日のエクササイズで体型を維持し、そして常にポジティブな思考を心がけています。

Now, a lot of musicians and artists all over the world are sharing their “music from home” video through social media under the situation of the COVID-19 pandemic. What do you think of “power of music”, specifically in the context of this situation?
新型コロナによって世界が混乱に陥る中、多くのミュージシャン・アーティストたちが自宅から自身の音楽をソーシャルメディアで発信しています。こうした状況下で、ヘドバさんは「音楽の力」をどのようにお考えでしょうか?

I think that it is great to keep active and share your talent in any form possible. We need to help people stay positive and cheerful, if not we will all fall apart. Music and art are especially great healers.
どんな形であれ、意欲的な活動を継続し、自分のタレントを披露することはとても良いことだと思います。私たちアーティストは、人々がポジティブで明るくいられるようにお手伝いをする必要があります。そうしないと、この状況では私たちみんなの気持ちが滅入ってしまいます。特に音楽やアートは偉大な「Healers」ですので、私たちの心を癒してくれるでしょう。

What kind of message would you like to deliver to your Japanese fans and friends through your new song “IKITEKOU”? Please give a message for them.
新曲『生きてこう』を通じて、日本のファンの皆さんに一番伝えたいメッセージをお願いします。

I want my Japanese friends to listen to their hearts and open their eyes to see the beauty of our world like “to stop and smell the roses” as they say, meaning appreciate what life is giving us. We will all win this crazy corona soon as long as we keep our hopes up, we will be ok. Ikiteko!
私は日本の皆さんに、「道端でバラの香りを嗅ぐために足を止める」という表現のように、ご自分の心の声に耳を傾け、この世界の美点を見るために目を見開いていただきたい。つまり、この一生で与えられたものに感謝をし、一日一日を楽しんで欲しいのです。希望を持ち続ければ、必ず私たちはこのコロナに打ち勝つことができると信じています。「生きてこう!」

関連記事

新着記事

洋楽最新情報をフォロー