ハマス襲撃の音楽祭生存者ユヴァル・ラファエル、壮大な夜明けのバラード「New Day Will Rise」感動の声広がる


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イスラエル・ガザ戦争の発端となった2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃からおよそ1年半。そのノヴァ音楽祭襲撃(レイム音楽祭虐殺事件)で負傷も生き延び、今年1月に歌オーディション番組で優勝した女性が、世界最大の音楽イベントのステージで歌う。揺るぎない愛を描きながら、暗闇と痛みの中で希望の光と魂を注ぐその歌に感動の声が広がっている。

欧州を中心とした37か国が参加、各国を代表するアーティストたちがオリジナル・ソングで競い合う伝統の国別対抗・歌コンペティション番組『ユーロビジョン・ソング・コンテスト2025』がスイス北西部の都市バーゼルで現地時間2025年5月13日にいよいよ開幕する。

今年のイスラエル代表に選ばれたのは、前年に続きユーロビジョン代表選抜を兼ねた歌オーディション番組『HaKokhav HaBa』(”次のスター”の意)で、公の初舞台ながら今年1月22日に優勝を果たしたイスラエル中部テルアビブ郊外のラーナナ出身の24歳、ユヴァル・ラファエル(Yuval Raphael / יובל רפאל)。

彼女は364人が死亡したノヴァ音楽祭襲撃での生存者の一人。4人の友達と一緒に訪れていたというノヴァ音楽祭で彼女たちはハマスによる虐殺から逃れるため、通り沿いの小さな防空壕に逃げ込み50人近くの人々と共に隠れていたが、テロリストらに見つかり銃撃に遭った。

放たれ続けた銃弾を浴びて次々に倒れていく死体の下で、彼女は電話で助けを求めた父親から死んだふりを続けるよう言われ、負傷し限界に達していたという足の痛みのなか死体の山の下に身を隠した。

しかしその後も戻って来ては銃撃され、幾度も手榴弾が投げ込まれ、諦めかけながら彼女はその状態で8時間、救助を待ち続け生き延びた。この防空壕で生き残ったのは彼女を含め11人だった。

音楽が心の深傷を癒やしていったというユヴァル・ラファエル。その初シングルにして、ユーロビジョン2025の代表曲となった「New Day Will Rise」は3月9日にミュージック・ビデオとともにリリースされた。最愛の人を歌う時を超えた絆の歌「New Day Will Rise」では、美しくテンダーな響きと心を揺さぶる力強い歌声で、別れと痛み、喪失と悲しみの先に、不変の愛と希望の光を歌う。

英語をベースに、フランス語、ヘブライ語の3か国語からなり、詩的な詞を交えながら時を超えた人と人の物語を美しいメロディで紡ぐ「New Day Will Rise」は、前大会でイスラエルを代表したエデン・ゴラン(Eden Golan)の「Hurricane」(記事)のソングライターでイスラエル人シンガーソングライターのKeren Pelesが作詞作曲、アワード受賞音楽プロデューサーTomer Biranとともに完成させた。

ヘブライ語の部分は、雅歌8章7節からの引用で「大水も愛を消すことはできない/洪水も溺れさせることはできない」を意味にする。フランス語の部分は英語の歌詞を翻訳したものとなっている。ユヴァルは幼少期に、家族とともにスイスのジュネーブに3年間住み、ヘブライ語だけでなく英語とフランス語も堪能で、この歌にフランス語を取り入れたいと望んでいたという。

New Day Will Rise

(バース1:英語)
たとえあなたは別れを告げようとも
決して去ることはない
あなたは私の空に架かる虹、灰色を彩る私の色、
星にかける私の唯一の願い、日の輝き
私のピアノが奏でる唯一の曲はあなた

たとえあなたは別れを告げようとも、
いつまでもそばにいてくれる
私を励まし元気づけるため、しっかりと歩めるようにと
今夜誇らしく思ってくれる?夢が叶うわ
光を選ぶ
あなたを失ったら、私には何もない

(コーラス:英語)
新しい日が昇り、人生は続く
誰もが泣いている、一人で泣かないで
闇は消え、痛みはすべて消えていく
でも私たちは離れたりしない
たとえさよならを言おうとも

(バース2:フランス語)
たとえあなたはさよならを言おうとも
決して立ち去ることはない
あなたは私の空に架かる虹、灰色を彩る私の色
星にかける私の唯一の願い、日の輝き
私のピアノが奏でる唯一の曲はあなた

(コーラス:英語)
新しい日が昇り、人生は続く
誰もが泣いている、一人で泣かないで
闇は消え、痛みはすべて消えていく
でも私たちは離れたりしない、その時が来ても

新しい日が昇り、人生は続く
誰もが泣いている、一人で泣かないで
闇は消え、痛みはすべて消えていく
でもあなたはずっとここにいる
私の最愛の人

(ブリッジ:ヘブライ語)
大水も愛を消すことはできない
洪水も溺れさせることはできない

(コーラス:英語)
新しい日は昇る
誰もが泣いている、一人で泣かないで
闇は消え、痛みはすべて消えていく
でも私たちは離れたりしない

(アウトロ:英語)
たとえさよならを言おうとも
新しい日が昇る
新しい日が昇る

Yuval Raphael

ソウルやR&Bが好きで、生涯の夢は歌手になることだったというユヴァル。子供の頃、彼女はレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)やスコーピオンズ(Scorpions)といったクラシカルなロック・バンド、そしてビヨンセ(Beyoncé)やセリーヌ・ディオン(Celine Dion)など代表的な歌手の曲を聴いて育った。

歌手として公の初舞台となったのは2024年11月に始まった歌オーディション番組『HaKokhav HaBa』。ハマス襲撃で死に直面した経験が、人前で歌うことへの恐怖を克服する力となったとユヴァルは語る。その時の襲撃の破片が頭と足に残ったままのユヴァルは、その決勝でバラード調にアレンジしたABBA(アバ)の名曲「Dancing Queen」(1976)をノヴァ音楽祭で亡くなった「すべての天使たち」に捧げた。

またサム・スミス(Sam Smith)の「Writing’s on the Wall」(2015)を歌い視聴者と審査員の心をつかみ、視聴者票と審査員票のいずれも最高得点を獲得し優勝。音楽キャリアをスタートさせた。優勝に際してユヴァルは「スイスの壮大なユーロビジョンの舞台で母国を代表することへの信頼を寄せてくださり、大変光栄で本当にありがとうございます」と喜びと感謝の気持ちを語った。

New Day Will Rise

代表曲を決めるにあたり、イスラエル公共放送局Kanが応募を呼びかけ、50人以上の作曲家が応募し、専門委員会による選考を経て、3曲が最終候補に残った。3曲全てをユヴァルはレコーディングし、彼女が望んだ「New Day Will Rise」を聴いたとき、専門委員会の審査員たちは涙を流し、満場一致でこの曲が選考されたという。

その後撮影されたミュージック・ビデオは、「Hurricane」と同じくノヴァ音楽祭を彷彿とさせる芝生の広場が舞台となり、ユヴァルと若者たちが芝生の広場に集まり、穏やかなひとときを思い思いに楽しむ光景が映し出される。芝生にはイスラエルの国花でもある赤いアネモネが咲く。荒野の真ん中、黒い衣装のユヴァルは巨大なシャンデリアの光の下で一人歌い、若者たちとともにビーチに向かうと、白いドレスのユヴァルは赤色から黄金色に染める遥か彼方の水平線を見つめながら魂に触れる歌を終える。

「New Day Will Rise」のリリースに際してユヴァルはイスラエル公共放送Kanの声明で「私にとってこの歌は、私たちすべての人が必要としている癒やしと、これからの日々、未来への希望を歌った曲です」と明かす。この歌がすべての人の強さと希望、支え合いと愛を語っているとした上で「新しい日が明け、かつてない素晴らしい日がきっと訪れます」とその願いと希望を添えた。

そしてこの歌の国内外の大きな反響を受けてユヴァルはKanで、「どんな芸術でも言えることですが、音楽の素晴らしさは、誰にとっても音楽やその歌詞が、それぞれの物語になることです」。「私の人生で最も心を震わせる出来事の一つは、10月7日の人生最悪の悲劇から、ユーロビジョンで国を代表するという自信の力になる素晴らしい瞬間への劇的な変化です。自分に打ち勝ったという気持ちは計り知れません」と述べた。

ユヴァルは2024年4月に国連人権理事会でノヴァ音楽祭襲撃を証言するなど、この1年間、虐殺を生き延びた経験を語ってきた。国連で彼女は冒頭で「私は政治的な発言をするためにここに来たのではなく、心を開くためにここに来ました」と語った。

また2024年7月、エルサレム司法研究所(Jerusalem Institute of Justice)の生存者プロジェクトでユヴァルは、当時の映像・音声記録の一部とともに14分に及ぶ動画で詳細に証言。打ち明けることが癒やされる力になっているといい「このようなことが二度と起こってはならないからです」と締めくくった(※記事最後にその動画とともに全文の翻訳を掲載)。

ユーロビジョン

イスラエル・ガザ戦争で非人道的な攻撃を続けるイスラエルに対する国際的な非難の声は、前大会のユーロビジョンで強く波及した。イスラエル代表曲「October Rain」は政治的中立性に反するとしてEBU(欧州放送連合)に受理されずタイトル及び歌詞の変更を余儀なくされた。またイスラエルの参加に抗議するデモやボイコットの呼びかけが行われた。さらにイスラエル代表エデン・ゴランに対して激しい誹謗中傷の声が相次ぎ、殺害の脅迫を受けた。

「Hurricane」にタイトル及び歌詞を変更し出場したエデン・ゴランのステージでのライブ・パフォーマンスの前後・最中には、激しいブーイングも飛び交った(※公式動画では消音技術によりブーイングは抑えられ、拍手喝采に置き換えられたとの一部主張について、EBUはこれを否定。大会後にエデン・ゴラン本人はThe Hollywood Reporterでのインタビューで、ユーロビジョンにはブーイング消音システムがあり、実際に歌っている時は自分の声がブーイングで聞こえないほどだったと振り返る)。

そうしたなかエデン・ゴランは決勝に進出し、審査員票で第12位、視聴者票で第2位となり、総合で第5位となった。なお視聴者票のうち非参加国の世界投票ではイスラエルが第1位だった。

「New Day Will Rise」の公開に際したKanの特別番組で、ユヴァル・ラファエルはこの「Hurricane」をエデン・ゴランと共にエモーショナルなデュエットを披露し、代表のバトンタッチを受けた。昨年同様、イスラエルは大会前と大会期間中に抗議デモやボイコットの呼びかけに直面すると予想されており、またテロ攻撃の可能性が高いことを踏まえ、イスラエル諜報機関が現地治安部隊と連携し、代表団警護部隊の大規模なチームが同行することが報じられている。イスラエル当局によると、警備体制は昨年スウェーデンで行われたユーロビジョンやパリオリンピックと同じくらい複雑なものになるという。

ユヴァル・ラファエルは、現地時間5月15日(日本時間5月16日午前4時)に予定されているユーロビジョン準決勝第2戦に出場予定で、5月17日(日本時間5月18日)の決勝進出を目指す。この大会の模様は、日本ではユーロビジョンのYouTube公式チャンネルの動画を通じてライブ配信される。

 

 

(証言)

〈証言:全文日本語訳〉
こんにちは、ユヴァル・ラファエルと言います。23歳です。

ノヴァ音楽フェスで4人の友達と一緒にいました。みんなとても楽しんでいて、友達の1人はこのフェスを半年くらい待ち望んでいました。とても大きなイベントです。休憩所に行った時、すべての始まりでした。

すぐにスマホをチェックすると、40件の警報の通知があったのを覚えています。その数分後みんなが叫び始めました。フェスは中止ですぐに避難しなくちゃと。それで私たちは荷物やテントも何もかも持って、車まで走って行きました。

その時ミサイルが見えました。たくさんの人が逃げようと車の列ができていました。私たちは左に曲がって、車で移動し始めました。232号線に入った時、フェス会場に戻るように車が引き返してくるが見えました。

何が起こっているのか理解できなかったので、車を止めてもらい尋ねると、おそらくテロリストが道路にいて、車を襲撃していると。危険を冒したくなかったので、車を運転していたハダルが、道路の両側に2つの防空壕があったのを思い出し防空壕に避難しようと決め、私たちは引き返しました。

防空壕の外も中もたくさんの人がいて、中に入ると私は父と絶えず電話で話していました。その時外から銃声が聞こえ、防空壕の中にいた多くの人が「軍だ、軍だ、大丈夫だ」と叫び始め、父に「軍が来て対処してくれているわ、大丈夫」と伝えました。その数分後「外に負傷者がいる」と人々が叫び始めました。父に電話ですべて伝えた時、テロリストが私たちを見つけ、中に入ってきました。

防空壕でまず彼らは通路にいた全員を撃ち、それから中に入ってきて、中にいる全員を撃ち始めました。私はスマホを落としました。覚えているのは銃声の間隔です。それはダダダダダッではなく、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッという感じで、その後銃撃は止みました。そして彼らが外に出て、車のドアをバタンと閉めて走り去る音が聞こえました。

友達の方を見たら彼らは無事でした。それから左に振り向き私の手を握っていた女の子を見ると、息をせず亡くなっていて、彼女の頭が私の肩にもたれかかっていました。足が本当に痛かったのを覚えています。足を見ると、足全体に死体がありました。ここには約50人の人がいました。

最初の銃撃の後、父に電話して生きていると伝えました。「パパ、人が死んでいる、警察を呼んで。早く来てと伝えて」と。

〈音声記録:(父)「今どこだにいる」(ユヴァル)「警察を呼んで。パパ、たくさんの人が死んでいる、警察を呼んで」(父)「今連絡している、死者が出てるのか?!」(ユヴァル)「パパお願い、早く警察を呼んで」(父)「今連絡している、落ち着いて、電話を切らないで!電話を切らないで!わかった?」(ユヴァル)「わかったわ」(父)「声を潜めて!」〉

しかし父は一転して「死んだふりをして!死んだふりをするんだ!電話は切らないで」と。

〈音声記録:(父)「テロリストがまだいるのか?」(ユヴァル)「去っていったわ、パパ、警察部隊を呼んで」(父)「ユヴァル、死んだふりをするんだ!電話を切るよ。死んだふりをするんだ!」(ユヴァル)「じゃあね」〉

電話を切ると、防空壕にいる全員に、彼らが近づいてくる音が聞こえたら死んだふりをするのよと伝えました。彼らは中に戻ってきて、再び撃ち始めました。彼らが外に出る度に私はスマホを取り、絶えず警察に電話しました。警察は「居場所を教えてください」と。防空壕内の電波は非常に悪かったです。

4時間警察に電話し続けた後、テロリストたちが防空壕にしきりに入ってきて、何度も何度も人を撃ち続けました。私は限界に達し、足は破裂しそうでした。中はとても暑く、電話に出た警察の人との最後の会話を覚えています。彼は部隊が向かっていると。私は憤り「そんなの嘘よ、4時間も経ってどうして誰も来てくれないのですか?彼らは殺し続けていて、これ以上置き去りにされたら連絡できなくなるかもしれない。外に出れないわ」。すると彼は「外には出ないでください、防空壕から出ないでください」。「いつになったら来てくれますか?」、私は身も心も完全に疲れきっていました。

そして自分自身に問いかけ始めました。いつ終わるの?私は死ぬの?足は何よりもつらく、骨が砕け始めるのを感じました。そしてもうダメだと感じました。

〈音声記録:(ユヴァル)「パパ、生きてるよ、パパ、まだ生きてるよ。何時間も足の上に死体が折り重なっていて、足を切断しそう。パパ、どうして誰も来てくれないの?どうして誰も来てくれないの…」〉

次に彼らがやってきたら、私は起き上がったままでいよう、彼らは私に銃弾を撃ち込むだろう、それで終わる。そんな風に考えたら、どういうわけか落ち着きました。終わるとわかっていたから。次いつ彼らが来るのかはわからなかったけど、次に終わることはわかっていました。もうこの痛みを感じなくていいんだ。もうこの状況も終わる。それで終わりになる。

そうして落ち着きを取り戻すと、私は強さを見出しました。彼らが次に来た時、戦い続け、また隠れる強さを見つけました。そこで自分の命を終わらせたくなかったからです。数時間後、彼らは手榴弾を投げ込み始めました。銃撃があった時は心臓がバクバクしていたのですが、初めて手榴弾の音を聞いた時、衝撃があまりにも強烈でまるで心臓が止まったかのようでした。息ができないほどでした。防空壕にはサッシ家の家族がいましたが、アヴィ・サッシは守ろうと最初の手榴弾に飛び込み自ら犠牲になりました。

彼らが手榴弾を投げ込み始めた後、目を開けるたびに人がどんどん減っていったのを覚えています。当時それが何なのかわからず、考えもしませんでした。今振り返ると、人々が爆発していったからです。

私たちの多くがスマホを持っていたので、ネット情報で軍が事態を対処していると誰かが言っていたのを覚えています。その時から彼らがこれまでよりあまり来なくなりました。スマホを探し、死体の背中辺りにスマホがあるのが見えて、拾って父に電話しました。

父は電話で、救助に行ける人と連絡がついたと言ってくれました。迎えに来てくれるようで、彼は部隊と一緒にいて、彼もここにいる娘さんを探していて、彼に私の居場所を伝えてほしいと。そうすれば彼は助けに来れるって。友達にそのことを話し、彼に電話すると、中にいる生存者の数を数えてほしいと。彼は30分以内にそこに着くと言っていました。

まだ30分も経っていませんが、「誰かいるか?」と叫ぶ声が聞こえました。「救助が必要な人はいるか?」私はとにかくパニックになったのを覚えています。救助の状況を何度も想像していましたが、一人が外で「誰かいるか?救助が必要な人はいるか?」と叫ぶのは夢にも思っていなかったからです。

防空壕にいた他のみんなが「助けて!」と叫び始め、友達を見ると彼女は「私たちは外に出るのはやめようよ」って。父は電話で「軍人に変装したテロリストがたくさんいるから外には出るな。まだ死んだふりをしているんだ」と。

男が中に入ってきて、壁に手をつき、もう片方の手は銃を通路側に向け「起きろ、起きろ、起きろ!」と叫び始めました。それから彼は「ニツァン!お父さんだ!」ニツァンが誰なのか私たちは辺りを見回すと、彼女が立ち上がったので、この人は彼女の父親で、救助だったんだとわかりました。救助されるんだと。

みんな一斉に立ち上がり始めましたが、私は立ち上がれませんでした。足に死体が乗っていたからです。それで起き上がった友人のハダルを見て、どかしてほしいと頼みましたが、彼女は呆然と立ちつくし見つめるだけでした。救助の人が彼女に「何してるんだ、早く外に出るんだ!」と叫び、連れ出されました。

ベンが立ち上がるのが見えてベンに「お願い、どかして」と頼むと、彼は状況を理解し何とか死体を移動してくれて防空壕から出ることができました。死体の上を歩かなければならず、顔を上げると太陽の光が見え、トラック2台が並んでいました。車に乗り横を見ると、二人の兵士が銃を持って先導しているのが見えました。

そして私たちは車で走り去りました。私たちは外を見ないように言われました。そして病院に避難し、そこで私は父や家族と会いました。

1週間後、私たちは報道機関のインタビューを受け、説明したり話すことが力を与えてくれました。その状況では死んだふりをする以外何もできなかったとわかったのです。でも今はこれが私の戦い方だと感じています。説明したり話して、人々に伝えて、もしかしたら変化を起こすきっかけになることで、力を取り戻せるように感じています。

何があったのか、できれば皆さんにわかってもらえたらと願っています。一矢を報いるといいますかほんの僅かですが癒やされる力になっています。立ち向かっているように感じますし、このようなことが二度と起こってはならないからです。

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